パンの日
パンが初めて日本で焼かれたのは江戸時代のこと。
天保13年(1842)4月12日、代官江川太郎左衛門が伊豆韮山の自宅で
兵食用として焼いたのが始まりといわれます。
この記念すべき日にちなみ、全国のパン屋さんでは毎月12日を「パンの日」と決めました。
当時、日本近海に黒船と呼ばれた外国船が出没し、世の中は物情騒然としていました。
中国ではイギリス軍の攻撃によってアへン戦争がおこり、日本も、いつ外国
の軍艦に攻められるかわからないという、不安な時代だったのです。洋式砲術の大家である高島秋帆の門下であり、兵法家でもあった江川太郎左衛
門は、本土防衛戦になったら、とても握り飯方式の弁当では戦えないと考えまし
た。敵前で火をおこし、飯など炊いていたら、その煙めがけて大砲の弾がとんで
くるでしょう。そうなったら、味方の大損害はさけられません。
この難問を解決するため、江川太郎左衛門はパンに着目しました。
日本のパンの歴史すごいですね。
兵食用として焼かれていたパンが今は手軽に買って食べられますしね。
砂糖がたっぷりついた『二戸名物 日光ぱん』をご紹介♪
お饅頭のよう美味しいおやつです。
★ご注文は>>こちら(http://www.supplement-direct.co.jp/item_detail/itemId,124/)
【戦前からの定番おやつ】
『日光ぱん』は戦前から二戸市で愛され続けてきたお菓子。
「ぱん」とありますが和菓子です。
(名前の秘密は下の【名前の由来】へどうぞ♪)
見た目は白砂糖が満遍なく振りかけられており真っ白。
卵、砂糖、重曹、小麦粉を混ぜて作った生地に、餡子をぎっしり包んで焼きます。
焼き上げた生地の表面に砂糖水をまぶし、さらに砂糖をたっぷりとつけて出来上がり。
【名前の由来】
古舘善次郎 著「陸奥福岡物語」という本によると、
『明治から昭和にかけて二戸市に「日光屋」と称し雑貨からお酒・燃料など何でも売っている
いわば百貨店があった。
その「日光屋」で開発した“ぱん”が、たいそう贅沢な食べ物で人気があった。
「日光屋」の“ぱん”というわけで、いつの頃からか「日光ぱん」となった。』
とのこと。
日光屋を開いた高畑栄次郎という人は、栃木県日光出身だそうで、そのため屋号が「日光屋」
になったと考えられています。
【誕生のきっかけ】
何でも取り扱っていた「日光屋」は、砂糖の卸売りも行っていたそうです。
明治時代の当時まだ馬車で荷を運んでいたため、天候や道の状況などによってでしょうか、
卸せないような砂糖や、売れ残ってしまった砂糖があり、それをどうにかできないかと考え
ました。
そして試行錯誤の末、砂糖をふんだんに使った『日光ぱん』が誕生します。
売れ残った砂糖を使っていたことと、当時は人件費がほとんどかからなかったために当時
高価だった卵や砂糖をふんだんに使っていても、庶民が購入できる値段であった『日光ぱん』は
お土産や滋養強壮がつくとしてお見舞い品として大ヒットしました。
◆
「日光屋」は昭和初期の不況の影響で閉店してしまっていますが、その製法は受け継がれ、
現在は二戸市内のほぼ全てのお菓子屋さんで作られています。
誰かと食べると盛り上がること間違いなしです!
▼アレルギー物質の特定原材料について 卵、小麦、乳
砂糖 内容量:5個入 商品番号:B00065-01 価格:553 円 (税抜)
黒ごま 内容量:5個入 商品番号:B00065-02 価格:553 円 (税抜)
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