今日はロールケーキの日です!
北九州市小倉でロールケーキで街起こしをしている「小倉ロールケーキ研究会」
が制定。
ロールケーキの「ロ」=6と、ロールケーキが断面が「6」の字に見えることから
だそうです。「6」もなら、逆文字の「9」は・・・?と思ったら、同じ理由で
洋菓子の製造販売を行う株式会社モンテールが9月9日をロールケーキの日に制定
していました^皿^
↑このロールケーキだと「6」と「9」が逆さまです 笑
甘いふわふわのカステラ生地に生クリーム・・・・・大人から子供まで大好きな
ロールケーキですが、弊社工場のある二戸には、その外見の甘さからTVにも
取り上げられたお菓子があります・・・。
今日は『二戸名物 日光ぱん』のご紹介です。
【戦前からの定番おやつ】
『日光ぱん』は戦前から二戸市で愛され続けてきたお菓子。
「ぱん」とありますが和菓子です。
(名前の秘密は下の【名前の由来】へどうぞ♪)
見た目は白砂糖が満遍なく振りかけられており真っ白。
卵、砂糖、重曹、小麦粉を混ぜて作った生地に、餡子をぎっしり包んで焼きます。
焼き上げた生地の表面に砂糖水をまぶし、さらに砂糖をたっぷりとつけて出来上がり。
甘い餡子もたくさん入っていて、さらに砂糖水をつけてその上に砂糖をつける!?
作り方を聞くと、中も外も砂糖のオンパレードで甘いものが苦手なわたしは噛んだ途端
歯がキーンとしそうな激甘なイメージだったのですが、さすが戦前から長く支持されてきた
お菓子!ただ甘いだけとは違います!
表面の砂糖と中の餡子の甘さのバランスは絶妙。
砂糖のトリプルパンチに反して、「上品」という言葉が浮かぶ味わいなのです。
ずっと生き残ってきたものには、やはり残るだけの理由があるのですね。
【名前の由来】
古舘善次郎 著「陸奥福岡物語」という本によると、
『明治から昭和にかけて二戸市に「日光屋」と称し雑貨からお酒・燃料など何でも売っている
いわば百貨店があった。
その「日光屋」で開発した“ぱん”が、たいそう贅沢な食べ物で人気があった。
「日光屋」の“ぱん”というわけで、いつの頃からか「日光ぱん」となった。』
とのこと。
日光屋を開いた高畑栄次郎という人は、栃木県日光出身だそうで、そのため屋号が「日光屋」
になったと考えられています。
『日光ぱん』は、餡子を小麦粉で包んだいわゆる「饅頭」なのに「ぱん」という名前になって
いるのは、鎖国が解かれ外国の文化がどんどん入ってきた明治時代。
外国の文化は高値の華であると同時に、流行の最先端・人々の興味の的でした。
「パン」もその1つで、『日光ぱん』もそれにあやかったと考えられています。
【誕生のきっかけ】
何でも取り扱っていた「日光屋」は、砂糖の卸売りも行っていたそうです。
明治時代の当時まだ馬車で荷を運んでいたため、天候や道の状況などによってでしょうか、
卸せないような砂糖や、売れ残ってしまった砂糖があり、それをどうにかできないかと考え
ました。
そして試行錯誤の末、砂糖をふんだんに使った『日光ぱん』が誕生します。
売れ残った砂糖を使っていたことと、当時は人件費がほとんどかからなかったために当時
高価だった卵や砂糖をふんだんに使っていても、庶民が購入できる値段であった『日光ぱん』は
お土産や滋養強壮がつくとしてお見舞い品として大ヒットしました。
【現在・・・】
考案した『日光ぱん』が大好評を博した「日光屋」ですが、昭和初期の大不況の煽りで店を
閉めることになります。
その時に、縁のあった4件のお店に『日光ぱん』の作り方を教え、それ以降二戸のお菓子屋さんで
作られるようになったそうです。
今では二戸市内にあるほぼ全ての和洋菓子屋さんで販売されており、二戸を代表するお菓子の1つ
として親しまれ続けています。
表面のコーティングが砂糖のみと黒ごま砂糖の2種類を取り扱っています♪
初めての方は、ドキドキの食べ比べもお薦めですよ!
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