50代になると残り何年元気に活動出来て、美味しいものが沢山食べられるのか考えるようになるのだ、と人生の先輩方が仰っていましたが、若者は晩年のことを全く想像出来ませんよね。
でも、少しでも考えておくことは後々のQOL向上に良いようですよ。
京都大学医学部を卒業された中村仁人先生の著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな~自然死のすすめ~」(幻冬舎新書)。
ご年配でも若い方でも、今現在の生き方についてや、医療との接し方についてなど深く考えさせられ、価値観まで変えさせてくれる非常にためになる濃い内容。
中村先生によれば、
「死に方」=「逝き方」
「逝き方」を考えることは、「生き方」を考えることになるとのこと。
私には、まだ深過ぎるかもしれません・・・。
医療が死に係り過ぎる
日本人は死を「縁起でもない」とタブー視して、まるで考えなくなってしまったと仰ります。それは、「死=恐ろしい、苦しいもの」と捉えているからだとか。
中村先生は、60歳を機に病院勤務を辞め、特別養護老人ホームの常勤医師として職場を変わられたそう。
そして、その職場の違いに愕然とし、人生観が変わったそうです。
病院・・・・・・・・・食べられなくなれば鼻や胃に管を通す、点滴注射など命尽きるまで、出来る限り手を尽くす
老人ホーム・・・歳も歳なので、何もしなくて結構です。と処置を行わないケースも多々あり
先生は老人ホームで初めて、最後まで点滴注射や、酸素吸入も一切行わない「自然死」を目の当たりに、その数12年で300例以上。
この現場に立って、死とは本来、穏やかで安らかなものである。と感じたそうです。
逆を言えば、医療が発達した現代は、医療が深入りし過ぎて、死を悲惨だったり、非人間的なものに変えてしまっている、、という。
死に際の飢餓・脱水は、幸せ!?
自然死というのは、餓死(=飢餓・脱水)と捉えるようです。
一般的に悲惨なイメージがある餓死とは違い、生命の魂が消えかかろうとしているときは、お腹も減らず、喉も渇かない。これが死に際の餓死。
身体が「もう栄養は不要だよ」と言っている状態=飢餓状態で・・・
この時、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、幸せに包まれるそうです。
そして、脱水状態では、血液が濃くなり、意識レベルが低くなり、ぼ~っとした状態に。
死に際は、呼吸も浅くなり酸欠状態になるので、やはり脳内にモルヒネ様物質が分泌されるそう。
さらに、呼吸が浅いため、炭酸ガスが体内に溜まりやすいですが、炭酸ガスには麻酔作用まであるようです。
つまり、死の苦しみを防ぐために天から授かった色々な作用があるのに、延命を手助けする医療が、穏やかな死を邪魔していると言い換えられるのです(汗)
今の遺体は重い!?
昔の遺体は「軽かった」のに、今の遺体は「重い」と年配の葬儀屋さんが言うそうです。これは、最後まで点滴・薬漬けの溺死状態だからだそうです。
死は、自然の営み。種の繁栄という生物の役割を終えた年配の方は、いつ寿命がきてもおかしくない、食べたくないのは、もう必要ないから。
ならば、流れるまま自然に任せるのが一番。そうすれば、痛みや苦しみ、寂しさも感じず幸せに満たされながら、この世からあの世に旅立てる、そう中村先生は仰ってます。
確かに、私の祖母も鼻に管を通されながら、痰を飲み込む力もなく、チューブで痰を吸い上げる度に涙を流していたのを覚えています。亡くなった時は、悲しいながらも、ほっと安堵したものでした。
もっとも驚いたことに、中村先生は理想的な死に方として、「ガン死」を勧められているようです。
「ガン死」って、、意外と思いましたが、実に興味深い。
99歳10ヶ月で亡くなった私の祖父も、2回目のガン発症時は「遣り残したことはないから」と治療を断って天寿を全うしました。
最近では終活という言葉があるぐらいです。
ぜひ、本をご覧下さい。